当たり前の味噌がくれた「生き抜く力」
昔から、歌津地区では、自分の家で樽一杯の味噌を仕込み、
それぞれの家庭の味を大切に守り伝えてきた。
大きな鍋で大量の大豆を煮て、冷ましながら塩と麹を混ぜ合わせ、
樽に詰めて冷暗所に保管する。塩・麹の分量などの違いによって、出来映えが違ってくる。
「手造りの味噌を一度食べると、既製品の味では満足できなくなりますよ」と、
石泉ふれあい味噌工房のメンバー、小野つい子さんと千葉悦子さんは笑顔で話してくれた。
石泉ふれあい味噌工房は、餅のつき方などを目上の人から学ぼうと主婦が集まり始まった。
地域に伝わる生活の知恵を分かち合いながら、ゆるやかな交流を続けてきた。
「震災直後、避難所に自宅で造った味噌を持ち寄り、味噌汁を作りました。
その味に食べた人たちが、皆ほっと安心した顔になったんです。心に残りました。」
代表の山内さんは、その時、歌津の味噌造りを守り継ぐ大切さを改めて感じたという。
農協にあった味噌作りのための樽や機械は、津波に飲み込まれ瓦礫に埋まっていた。
ところが、炊き出しで石泉を訪れた社団法人アジア協会アジア友の会のボランティアが、
彼女たちが作る味噌のおいしさに出会い、「石泉ふれあい味噌工房」を再建する活動が、
昨夏、本格的に始まった。
そして4月、協会の支援により建てられたプレハブで、6名のメンバーが中心となり食品製造が
始まった。
得意の漬物やカボチャまんじゅう、焼き肉のタレなどを開発・製造し、
南三陸直売所「みなさん館」で販売を始めた。
地元の人のみならず、観光客にも好評だ。春に仕込み、10カ月寝かせた看板商品の味噌は、
1月頃の販売開始を見込んでいる。特に、震災で家を失った町の人たちは手造りの味噌を待
ち焦がれており、毎日のように問い合わせが来る。
「以前は、当たり前の味噌でした。でも、それは「生き抜く力」になりました。
何でもスイッチひとつで済む便利な現代だからこそ、
いざという時に、火を熾こすというような知恵が、命に関わることになると身をもって知りました。
だから、豊富な知恵を持つおじいさんやおばあさんから学ぶことが、今こそ大切だと思うんです。」
山内さんの言葉に、工房にいた全員がうなずいた。
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Ikuko Yamauchi
Since early times, in the Utatsu area, families prepared miso
(soybean paste) a barrel-full at a time in their own homes.
Some housewives in the area sometimes gathered in order to
learn how to make rice cakes, etc. from older people. Later
the gatherings evolved into the Ishiizumi Fureai Miso
Factory. The volunteers from the Japan Asian Association &
Asian Friendship Society (JAFS) who helped to prepare
meals after the Great Earthquake found the miso made by
these housewives delicious. Last summer, with assistance
from JAFS, the project “Ishiizumi Fureai Miso Factory” was
started full scale. People who lost their homes by the
earthquake disaster long for the taste of hand-made miso,
which the factory plans to start selling in January, and check
with them when it will be available almost every day.
“Everyone who ate miso soup in the evacuation centers
appeared to become relieved,” Ms. Yamauchi, President of
the factory, said. She also said that at that time she knew the
importance of protecting the heritage of miso making in
Utatsu.
“In the past homemade miso had been nothing special, but it
gave us the ‘power’ to live through an emergency.” So, I
think that now it is important to learn from older people who
have abundant wisdom. I wish someday my daughter-in-law
would ask me to teach her to make miso in this factory,” said
Ms. Yamauchi with a smile on her face. All the members
hope that many more people use this facility and instruct
visitors on how to make the traditional miso of Utatsu.