‐若返った海を未来へ
村岡賢一さんは、集落の中心となって、水産業の振興や南三陸町を代表する伝統芸能の一つである行山流水戸辺鹿子躍の保存に力を尽くしてきた。村岡さんが住む戸倉・水戸辺地区では、隣の在郷地区と契約講の絆で結ばれた住民たちが、昔から海の仕事、森林や鮭が遡上してくる川の管理、運動会など、なんでも一緒に力を合わせてきた。自然に生かされていることを知り尽くした先人たちが、生きるために共働する集落を守り、継承してきた。
震災後、団結はますます固くなった。何もかも失われ、13隻あった船が3隻になった集落で、2つの地区の人たちはともに復旧活動に汗を流した。避難所で子供たちとともに練習を再開し、鹿子躍を全国10数か所で披露した。秋の終わりからは、ワカメの刈取りや下記の養殖準備も行っている。
津波で海が若返った、と村岡さんは語る。カキやワカメの生育状況の速さでそれが実感できる。自然のすべてを育ててくれる。人間がこの海で漁や養殖を営むことは両刃の剣だ。よみがえった海を人間が大切にすれば、海は永遠に恵みをもたらしてくれるだろう。自然のサイクルを止めないこと。それが南三陸の海で生きる人間にとって一番大切なことだと村岡さんは考えている。
「子供たちに豊かな自然を残したい。その恵みこそ未来を潤す、かけがえのない財産だ。」
村岡さんは、今日も水戸辺の浜から海に出る。何万回この海に出ても同じ思いが胸をよぎる。
「漁師の仕事はきびしい。出銑の時は希望と不安がいりまじる。そして、陸に向かって帰るときは、心が安堵で満たされる」
太古の昔から変わらぬ自然と人の関係を、このまま変わらずに伝えることこそ、何より大切なことなのかもしれない。そう村岡さんは思う。
行山流水戸辺鹿子躍