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チリと南三陸の絆「モアイ像」が2体揃って「うみべの広場」に登場!

チリと南三陸の絆「モアイ像」が2体揃って「うみべの広場」に登場!

 南米チリのイースター島で有名なモアイ像。島の石で制作したものは本来、門外不出だが、世界で唯一、持ち出しを許された貴重な1体が宮城県南三陸町にあります。

新しくオープンした「うみべの広場」にモアイ像2体が揃う!

海に背を向け町を見守るように設置された2体のモアイ像は、ともにチリ共和国から海を渡ってきたものです。このうち1体は津波で流されたものの、現在の南三陸高校で大切に保管されてきました。もう1体は、2013年から町内の商店街に一時的に置かれていましたが、志津川湾を望む新たな広場に移され、7月29日に2体揃ってお披露目されました。

ここまで関係してきたみなさまをお呼びして、晴天の中、みなさんで除幕式を行いました📣

佐藤仁町長からは、今までのモアイを通した人々のストーリーを振り返った話がありました。

元三菱商事株式会社会長であり、ラテンアメリカ協会長の佐々木さんが震災後にモアイ像を発見してくれたことや、モアイプロジェクトを推進してくださったこと、南三陸高校の生徒がモアイで南三陸を盛り上げようと実施した取り組み、震災後に寄付を募り町にモアイバスを寄付してくれたことを振り返りながら、今「みなさんと共に、新しくできたうみべの広場とモアイ像を大事にしながら、大いにこの広場で楽しんでいただきたい」と語りました。

チリからも、駐日チリ大使館臨時代理大使であるルイス・パルマさんも遥々除幕式に来ていただきました。

1960年からの両国の絆を振り返りながら、互いに震災から立ち上がる力をたたえる取り組みを振り返りました。

TSUNAMI Ladiesという両国の震災を乗り越えて立ち上がる女性のストーリーに焦点を当てた話や、2022年にイースター島で起こった山火事の火災によるモアイ像の被害に対する修復に南三陸高校の生徒たちが寄付金を集めてくださったことに感謝の気持ちを述べてくださいました。

逆境に直面した両国民の立ち上がる力をたたえ、連帯の絆を生むため長年交流してきました2体のモアイ像は、両国を結びつける絆として、これからも町を見守り続けます。

南三陸町とチリ(イースター島)との関係性は?

地球の裏側にあるチリと南三陸は同じく津波の被害を被った地域同士で強い絆で結ばれています。

1960年に発生したチリ地震津波で南三陸町の住民が犠牲となり、この津波の記憶を未来に伝えようと、30年後の1990年に国鳥コンドルの碑がチリから贈られ、1991年には南三陸町がふるさと創生事業の一環としてチリ人彫刻家に依頼して創ったイースター島のモアイが、志津川地区の松原公園(震災前の場所)に設置されました。(写真右)
ところが2011年に東日本大震災の津波で流され、頭部と胴体が別々に。
震災後、発見された頭部は、南三陸高校に設置され、高校生を見守ってきました。
胴体は、しばらくたってから同じ町内で発見されたのです。

イースター島の長老は震災後に南三陸へ再び、モアイ像を贈ることを呼びかけた。
「海に破壊された日本の町に、人々が再びそこで生きていきたいと思えるようなマナ(霊力)を与えるモアイを、贈れないのか? 私は息子とともに、日本の人たちが必要としているモアイを彫る!」
イースター島は世界遺産で、石を持ち出すことに地元で反対意見もあったが、それまでに日本から受けた支援に触れて「復興を見守るモアイが必要だ」と説得したという。

そこで送られたのは、世界に2体しかない目の入ったモアイ像🗿
眼を入れるとマナ (霊力)がモアイに宿る。南三陸の悲しみを取り払い復興を見守る存在になることを願っている」

チリからの想いの詰まったモアイ像は、志津川湾を背にして、南三陸に住む人・訪れる人々を見守ってくれています。

うみべの広場へのアクセス

南三陸町の中心市街地をグランドデザインした隈研吾事務所では、うみべの広場など道の駅から歩いて行けるサスティナブルなまちづくりの設計にしたと言います。
ぜひ、南三陸のまちを歩いて楽しんでみてください^^

・道の駅さんさん南三陸から徒歩3分
・食事処松原横

 

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