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町の写真屋さんが伝える「南三陸の記憶」とは

町の写真屋さんが伝える「南三陸の記憶」とは

昨年、南三陸町の震災伝承施設、南三陸311メモリアルがオープンしました。実は、その前から、町内で震災の記憶を伝え続けていた場所があります。南三陸311メモリアルの隣、さんさん商店街内にある佐良スタジオです。

常設展示「南三陸の記憶」は、震災前の町並みや震災直後の町の様子、復興までの様子をおさめた写真を鑑賞することができます。撮影者は、佐良スタジオの佐藤信一さんです。今回は、佐藤さんに常設展や町の写真を撮り続ける理由を取材してきました。

「シャッターを切ってごめんなさい」
写真に綴られているのは佐藤さんの記憶

佐藤さんは、東日本大震災があった311日にとっさにカメラを持って避難しました。避難した高台で想像以上の津波が迫りくる様子を目の当たりにした佐藤さんは、「これは忘れてはいけない」と無我夢中でシャッターを切り続けたといいます。それ以降、自身も避難生活を送りながら撮影した写真を、「南三陸の記憶」でも展示しています。

「震災の時、何があったのか、どういう状況だったのか、知りたい人は大勢います。町内の人も、親戚の人や友人を連れて来てくれるんです。この時こうだったんだよ、ここはこうだったんだって。写真があると当時のことを説明もしやすいし、写真を見て思い出すこともあるみたいですね」

そんな佐藤さんも、写真を見ると、シャッターを切った瞬間のことを思い出すのだと言います。展示された写真には、その時の佐藤さんの思いが書き込まれています。

「ただ何月何日に何があったとか、そういう事実を知らせて終わりにしたくなかったんですよね。自分の写真だから自分の言葉で説明したいと思ったんです」

遺族が瓦礫の前で泣いている写真には、「シャッターを切ってごめんない」と綴られていました。佐藤さんが葛藤しながらも、写真を撮り続けたのだということがうかがえます。

「ありがとう。写真を見たら元気出てきた」
かけられた言葉が、これからも撮り続ける理由に

震災から少し経ったある日、ボランティアが瓦礫から見つけた写真を展示する場が設けられました。自分や知人の写真があれば、自由に持って帰っていいということだったので、佐藤さんも展示に足を運んだそうです。そこには、自分が撮影した写真がたくさん展示されていたといいます。

そこで再会した知り合いの方から、佐藤さんはある写真を見せてもらったそうです。

「『佐藤さん。これ、佐藤さんが撮ってくれた七五三の写真。見つかったの。ありがとう。これ見たら元気出てきた』って泣きながら言われたんですよ。そこで、写真って誰かに希望を与える力があるんだなって気づいたんです。これをテーマにしようと思ってできたのが、「南三陸の記憶」なんです」

震災で、佐藤さんの写真館も家も流されてしまいました。瓦礫の中から見つけられたお店の痕跡は、ごくわずかなタイルだけでした。もちろん、それまで町の様子を収めていた写真もすべてが流失しました。

「撮る瞬間には価値がないものだったとしても、時間が経つごとに、その価値や存在が大きくなっていく。それが写真だと思うんです。だから、今はなんともないような写真が何年後、何十年後にすごく貴重な写真になる可能性もあるんですよね。震災でそれを痛感したので、この町の記憶を撮り続けていくことは自分の役割だなと思っています」

写真の持つ力にあらためて気づいた佐藤さん。「南三陸の記憶」は撮影者としての自身の記憶も、町民たちの記憶も保管している、アルバムのような場所なのかもしれません。そして、佐藤さんは今でも、いつか記憶になっていくだろうこの町の日々を撮り続けています。

<店舗情報>

佐良スタジオ
営業時間: 9:30~18:00
定休日 :火曜日
お問い合わせ: 0226-28-9291

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