親たちが残してくれたものを次代へつなぐ
明治42年に駄菓子屋として開業した雄進堂。今は創業者の曾孫である阿部雄一さんが営んでいる。
父親の代には和菓子、洋菓子の他にパンも作っていた。
そのパン目当てに、学校帰りの高校生たちで店はにぎわったものだ。
父親が亡くなってからは洋菓子専門店になった。パンは天気などに左右され、作るのはむずかしかったのだという。
仕事帰りのお父さんに、お土産としてケーキを買ってもらえるように、雄一さんは、
ショートケーキやチーズケーキなどのベーシックなケーキの価格を200円に据え置きしてがんばって来た。
震災で自宅を兼ねた店は跡形もなくなくなった。避難所での炊き出し生活が続いた。空腹は満たされても、なぜか心は満たされなかった。
ある日、避難所に福島の方がパンを持ってきてくれた。おいしかった。久しぶりの手作りパンにみんながうれしそうだった。
町の人が「あんだいの(あんたの家の)パン、うめがったんだぞ」と阿部さんに言った。
阿部さんは思った。うまいと言われるようなパンを作りたい。町の人の心御満たすことができるようなパンとお菓子を作ろう。
すぐに岩手県一関市の知り合いのパン屋に頼み、弟子入りさせてもらった。
6月初めから1月中旬まで、毎日午前3時に起き、車で一関に通い続けた。父親のようにおいしいパンが焼けるようになりたいという一心だった。
快く教えてくれた店は「アップルハウス」という。師匠への感謝を込めて、南三陸さんさん商店街の新しい店の看板には「りんご」をあしらった。
開店の日、お客様に「待ってたよ」と泣かれたときには胸が熱くなった。あてにされることが、朝早くから起きて頑張れる元気の源だ。
「親が残してくれた店を、次に渡したい。ここで生きているという意味を考えて、バトンを渡したい。今、自分たちががんばらなければ、ふるさともなくなってしまう。」
阿部さんはそう語る。とにかく何をするのも人、人の力しかない。
だからこそ、おいしいパンと洋菓子を一生懸命作るしかないと、阿部さんは笑った。
イチゴショートやチーズケーキ230円。