南三陸町のいまを訪ねて ~教育旅行の目的地としての魅力を探る
■人気プログラムは地元漁師が提供する漁業体験
三陸地方の海産物といえば全国で有名だ。沿岸自治体で唯一、名に「三陸」をいただく南三陸町の基幹産業も、もちろん水産業である。季節ごとの海の幸をぜいたくに使った「南三陸キラキラ丼」は大人気で、これを目当てに県外からも多くの人がやってくる。取材に訪れた12月は、旬のカキを使った様々なメニューも提供されていた。好きな人にはたまらない海産グルメの町である。
南三陸町は志津川湾をぐるりと囲む形をしている。この入江の穏やかな海で盛んに行われているのが、そのカキをはじめギンザケ、ワカメ、ホヤなどの養殖だ。
実際に漁師が使う漁船に乗り込んで、こうした養殖の現場を見学できるプログラムがある。教育旅行向けに南三陸町観光協会が提供する、「海から学ぶプログラム」だ。数ある体験学習メニューの中でも一番人気のひとつだという。漁師から直接説明を聞いたり、海の生活に必須のロープワークを学んだり、魚捌きを見学したり。特に一次産業に触れる機会の少ない都会の子どもたちにとっては、初体験の連続だろう。
「ワカメって本当にこうやって海の中で育っているんだ!と声を上げる子もいます。ふだんスーパーで見る食材がどうやって生産されているかを知って、自然の恵みを肌で感じ、食べものに対する意識の変化につなげてほしい」と話すのは、観光協会の旅行企画部門チーフ、菅原きえさんだ。
菅原さんによれば、この「海から学ぶ」体験学習は、受け入れる漁師たちにとっても消費者と直接触れ合える絶好の機会であり、積極的に協力してくれるという。歌津地区の漁師、高橋直哉さんもその一人。「海しょくにん」というチームを立ち上げ、教育旅行のみならず多くの体験受け入れを行っている。
しかし、以前は漁師として「生業以外の目的で自分の船に人を乗せることなど考えもしなかった」そうだ。転機となったのは東日本大震災。津波で養殖施設は壊滅した。1年後にやっとワカメの養殖が再開できたころ、高橋さんは復興支援のボランティアに感謝を込めて、ワカメのしゃぶしゃぶをふるまった。それしか提供するものがなかったからだ。
「でもみんな、こんなにおいしいワカメは初めてだと喜んでくれたんです。自分の中の“当たり前”が“誇り”に変わる、新鮮な発見でした。それで、漁船を使って人々を笑顔にしようと観光・体験の事業を始めました。体験してくれる人には、どんな食べ物にも作る人がいるということを知ってほしい」
伝えたいという熱い思いを持つ人の言葉は、聞く人の心の奥に届く。
■大震災前後で起きた変化もアクティブラーニングには絶好のテーマ
あの大震災は南三陸町からたくさんのものを奪ったが、一方で高橋さんの発見のようなポジティブな変化のきっかけにもなった。その最たる例が、志津川湾の南側、戸倉地区の養殖カキの「1/3革命」だろう。いまでこそ高品質の「戸倉っこかき」として人気を誇るが、震災前は宮城県内最低ランクといわれるほど酷かったという。過密養殖、低品質、低価格の悪循環だったのだ。
それが震災ですべて流失し、ゼロからの再建を迫られたとき、漁師たちは思い切って養殖いかだの間隔を以前の1/3と決めた。すると、カキのサイズが大きくなって、かえって生産量(重量)は増えた。質が向上したので価格が上昇し、収入も増えた。逆に経費と労働時間は減り、環境負荷も軽減された。結果として、地域のカキ養殖業の持続可能性が向上したのである。2016年には日本初のASC認証(※1)取得という快挙も成し遂げた。
かなり端折って書けばそういうことだが、一般社団法人サスティナビリティセンター発行の「奇跡の漁業革命 戸倉っこカキの冒険」を読めば、この改革がまさに「革命」と呼ばれる意味がよくわかる。この冊子をつくった同センターの代表理事・太齋彰浩さんは、「こうした震災前後での地域の変化を学びのテーマとして提供できるのは、まさにこの地ならでは」だと語る。
太齋さんは、南三陸町の体験学習メニューのうち、「アクティブラーニング型環境学習」と「南三陸SDGsアクティブラーニング~海と食の未来を守るには?」というプログラムの講師を務める。参加生徒は、前項で紹介した「海から学ぶプログラム」で養殖現場を見学した後、あるいは上述の1/3革命の話を聞いた後、グループワークで環境問題を話し合ったり、社会起業家になりきって社会課題を解決する事業を考えたりする。
「私たちの暮らしを持続可能なものにするには、自然資本をうまく使わなければいけません。最近サンマやサケが獲れなくなってきているのはなぜか。どうしたらこういう身近な魚を食べ続けられるか。ワークではそういったことを話し合います。しかし、答えはひとつではないので“べき論”はしません。それを決めるのはきみたちの行動だよと。自分の頭で考えることが大切なのです」
太齋さんはまた、ワークの中で自分と異なる様々な意見に触れること、それでも最後はグループでひとつの方向性を見出していくことにも学びがあるという。そして、最後はなんらかの行動につながる部分を大切にしたい、とも。
「いまの子どもたちは大人よりもよほど持続可能性への危機感を持っていると思います。ただ、人の行動を変えるのは難しい。理解・納得だけは足りず、共感まで達して初めて変えることができるのです。納得から共感への橋渡しができれば、その人も社会も変わる。アクティブラーニングのプログラムでワークに最大2時間かけるのは、そこまで持っていくきっかけをつくるためです」
自然体験や環境学習ができるところは日本全国に少なくない。が、海のASC認証(※1)、森のFSC認証(※2)を持ち、ラムサール条約にも登録される環境(※3)となると希少だ。そこに専門知識とファシリテーションスキルを備えた講師が加われば、文字通りアクティブで深い学習が実現するのだろうと感じた。
※1【ASC認証制度】 水産養殖管理協議会(Aquaculture Stewardship Council)が管理運営する養殖に関する国際認証制度。取得には100以上のチェック項目に合格することが求められる。環境に配慮し、法律や労働者の人権を守ることを約束した養殖場であることの証である
※2【FSC認証制度】 社会、経済の便益に適い、きちんと管理された森林からの製品を目に見える形で消費者に届け、それにより経済的利益を生産者に還元する仕組み。明確に定められた認証範囲内で適切な管理体制を示した組織に対し与えられる。(FSCジャパンウェブサイトより)
※3【ラムサール条約湿地】 「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約(ラムサール条約)」の締約国は、自国の湿地を条約で定められた国際的な基準に従って指定し、条約事務局が管理する「国際的に重要な湿地に係る登録簿」に掲載する。これが「ラムサール条約湿地」である。(環境省ウェブサイトより)
■震災学習こそ五感をフル動員
今日の志津川湾はどこまでも青く静かだ。11年前、この海がどれほど恐ろしい牙をむいたか、当時を知らない人が想像することは難しい。いまのティーンエージャーはテレビで映像を見た記憶すらあやしいだろう。
こうした世代が現地を訪れて被災体験者の話を聞く、いわゆる震災学習の目的は、「昔こんな災害があった」という事実を知るためだけでは当然ない。南三陸町観光協会の菅原さんは、「子どもたちの防災意識を高めたいという学校のニーズを感じる。なかでも南海トラフ地震の影響が懸念されている地域は危機感を持っている」という。
取材の日はちょうど、埼玉県の高校生200名余りが訪れていた。午前は町内を見学しながら語り部ガイドの話を聞き、午後は数班に分かれてものづくり体験というスケジュール。数人の生徒に午前の感想を聞いてみると、最も印象に残っているものとして全員が震災遺構の旧防災対策庁舎を挙げた。ひしゃげた鉄骨3階建てを見上げ、津波の巨大さを体感するインパクトは、やはり大きいのだろう。
もっとも、見学と語り部の話だけで前述の太齋さんのいう「納得から共感、行動の変化」につなげるのは難しいかもしれない。それでも生徒の一人は、「埼玉に海はないけど、地震はある。家に帰ったら家族に今日の写真を見せて、避難場所や避難経路について話し合ってみたい」と言っていた。
「わが校でも毎年9月に防災学習は実施しているが、現地に来て直接見聞するとやはり違う。語り部の話に涙を流す生徒もいて、自分の命は自分で守るというメッセージが伝わったと思う。また、オンライン学習と違って周りの生徒の反応も生で感じられるので、より共感を生みやすいのではないか」(教頭先生の話)
そう、震災学習こそ五感をフル動員して得るべき学びなのだ。
■これだけの受入れ協力事業者がいることの意味
さて、上述の高校生の班が午後の時間に挑戦していたのは「モアイ像の色塗り体験」だった。ほかの班は「オクトパス君(合格祈願キャラクター)絵付け」、「福幸玉(浮き玉を模したストラップ)つくり」など。南三陸体験学習のものづくり体験メニューは実に10種以上が用意されている。もちろん、ただ作業するだけではない。なぜ南三陸でモアイ像なのか、オクトパス君はどうして生まれたか、モノの背景にあるストーリーを学べることがポイントだ。
そして、町の魅力は海だけではない。唯一、海に面していない入谷地区にある一般社団法人南三陸YES工房では、オクトパス君絵付けのほか、南三陸杉の間伐材を使用した木工クラフトや、養蚕文化を受け継ぐまゆ細工の体験を提供している。
「木工クラフトでは、町土の8割を占める森林資源や林業の現状について。まゆ細工では、仙台藩の養蚕発祥の地として栄えたシルクの文化について。そしてオクトパス君づくりでは、震災から復興までの歩みについて。生徒さんが楽しみながら南三陸の魅力を学べる仕組み作りを心がけています」(YES工房代表理事の大森丈広さん)
体験学習プログラムのパンフレットを見ると、ほかにも農作業体験、枝打ち間伐体験といった里山でのアクティビティや、塩づくり、ふりかけづくりなど食に関する体験など、とにかく目移りするほどバラエティに富んでいる。これに上述の震災学習や環境学習、海をフィールドにしたメニューを加えると、提供プログラムは30種以上におよぶ。南三陸町観光協会によると、2021年度は約90団体8,400人が人口1万2千人の町を訪れてこれらの体験学習を行い、ほかに25団体がオンラインで語り部プログラムなどを受講したという(2022年3月までの予約分含む)。
ここで特筆すべきと感じたことがある。全プログラムの事務局は観光協会だが、各体験を提供するのは地元の事業者たちだ。協力してくれる受け入れ先がそれだけあるという事実こそ、実は何物にも代えがたいこの町の魅力ではなかろうか。この「地域力」は一朝一夕では生まれない。有名な観光スポットを持たない南三陸町は、震災以前から町民の暮らしそのものを観光資源としてとらえ、住民自らが地域の魅力を伝える取り組みを地道に行ってきたのだ。
観光協会の菅原さんによると、現在の体験学習プログラムの出発点は、20年以上前にスタートした宮城県内の子どもたちの農山漁村体験受け入れだったという。
「民泊と農作業・漁師体験を組み合わせた小規模なグリーンツーリズムでした。その後、2008年に観光協会が法人化したのを機に教育旅行の受け入れを本格化。民泊の受け入れ家庭を100軒まで増やすことを目指しました。『くらし体験・交流体験』を謳っていたので、一次産業だけでなくサラリーマン家庭にも広げていったのです」
事業は順調に伸び、100軒達成も間近となったところを大震災がおそった。3年後、観光協会が教育旅行事業を再開した際、民泊受け入れ家庭は半減していた。その後、高齢化も相まって受け入れ先はさらに減少し、現在の登録数は30件。2020年度からはコロナ禍のため、民泊そのものを一時停止している。
「でも近い将来ぜひ再開したいと考えています。各家庭は受け入れをとても楽しみにしていて、それは温かく迎えてくれるんですよ」(菅原さん)
以前に民泊体験を組み入れた修学旅行に訪れた静岡県の市立高校の先生は、「南三陸町は人が温かい。民泊では、最初はお互い緊張していても夜になると打ち解けて、つらいであろう震災の日の話などもしてくださり、帰る日には涙ながらにお別れしてくださった。生徒たちもたくさんのことを感じたと思う」という感想を残している。
もちろん、学校によって宿の希望は様々だ。南三陸町は町の規模のわりに宿泊施設の数が多い。定員30人未満の民宿から1,300人以上の大型ホテルまでバラエティがあるのも、教育旅行先としての町の強みのひとつといえよう。実際にはどこに泊まっても、子どもたちは南三陸の「人」に触れることができるに違いない。
時の流れとともに「被災地」を訪れる世代は移り変わり、その求めるものも変化していく。町の体験学習メニューが30種にも増えたのは「ニーズに応じてプログラムを追加更新してきたから」(菅原さん)だ。でも、この地が誇る自然の恵みと人の温かさは、きっといつまでも変わらない。この先も多くの子どもたちがここを訪れ、他では得難い学びを得てほしいと願う。
【2021年12月取材/文=中川雅美(良文工房)】
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◎「南三陸SDGsアクティブラーニング~海と食の未来を守るには?」