3月は色んな角度から仕事人、学生の方、家庭、職場の人々、
其々が、切り替えの時期となって、目標に向かったり、スタート地点に立ったり、
希望と不安を抱える多くの人達の思いが募ってくる、季節ではないかな~あ~、
想いを膨らますべく、5年前のあの日もそうだったはず・・・・
なのです・・・・・・が・・・・・
この世が・・・人生が・・引っ繰り返る事が・・・
あれから5年・・・・・・・(誰かのセリフではありませんが・・あれから40年では無いんですが・・)
忘れようにも忘れることが決して、到底できない
、5年前は、全てのことが、、予想も出来ぬ。
天地をひっくり返す未曽有の出来事に、、、
大切な自宅、品々、地域、町が、人々が、、、兄弟が、、親戚が、友人が一瞬に、、一変して、、、、、、
全てが奪われた事実を、受け止めるのに精いっぱいの、息をしている自分たちが生き無ければの、、、、
今日を、今を、明日を、言葉が見つけられない日々、
色々なことが、沢山ありすぎて、、、、が、、、、それでも
そのことが逆の意味でも、「キズカサレタ」ことへも、、
沢山あったことに意識させられたのでは??? ・・・ と、私は思わされ、
前に進むことも、沢山の方々に支えられた5年間でした。
やはり他人が誰かを支える力って、日々の人としての繋がりを大事にすることが、
自分が「どん底」に、陥った時の表れに出てくるんではないかな~と、思わされてきました。
でも、それでもですよ・・・
被災したこの町で生きて行くことを決めた多くの町の人たちにとって、、
沢山の希望も見えてきた場所、地域が、目に留まってきている3月になっています。
居住地が高台に決定した場所の造成が急激に進み変わってきている。
先日、日常見慣れた場所が一変して驚いた、私でもあるんです。
過去の我が子供たちが通学していた志津川小学校の東隣りの場所が、、(中央地区となる)
広大な、宅地造成に専属の車が、所狭しと稼働していたし、又、高校の後方には、
2カ所ほどの(西地区)高台造成地が急ピッチで作業が進められている。
知人が、「今年こそ新しい場所に家族で住むんだから、も少しの、ガマンダッチャね」・・と・・
言葉にしていたのが、すごく重い言葉だったのが、心深く残っている。
それに、夜になると、車で通過する事でさへ(見慣れた町の筈だった所でさえ)暗くて寂しい
場所に満々と周囲を照りつけてくれるかのように
コンビニも出来て(半、永久的な場所となる???)夜の遅い時間でさえ、お客様が入っていて
ホッとする場所になったりして、
私自身も車を止め入店した時、元自宅傍の行きつけの「ミニストップ店」を思い出したり
なんでか安心するひと時さえ感じたりもした一瞬でした。
又、この町の経済を左右するのでは無いかと???思うほどの(過言ではないですが、、、)
沿岸部の活気を代表的に感じさせる、4~5年に1度帰化する秋サケなんですが
地元の人々も、この町を訪れる方々も、大好きなイクラ丼となる、生みのお母さん鮭
その稚魚を孵化させる、孵化場に先日「一般にオープン??」と聞き、お伺いしました。
何かの手違いで、孵化場の職員にはお会いすることが出来ませんでしたが、
一人稚魚の世話をしている方にお話を伺うことが出来たことを思い載せました。
「歓迎者以外が入ると雑菌を持ちこまれることが心配だ」と、話しておられ納得。
何気なく養魚場みたいな流れの場所を目にしたとき、水面上に黒い雲のような動きが有って??
よく見ると、近日中にこの町の川から放流予定の稚魚が雲の塊のように泳いでいた。
私自身の卵の時か?目がやっと出てきたのを見たことないので、稚魚を目にしたときは
興奮しましたね。(聞いたところで例年ょり少し遅かったが、2月末に6万匹??放流す。)
そして放流する日に、間近で見ることが出来てこれまた興奮でした。
放流されたうちの何割にしか帰化せずとの事でしたが、、、、、
故郷の復興した町を川を体感しに戻ってきてほしいですね。又すぐその近くには、今年度中には
開通完成しませんでしたが、三陸道の陸橋の真下が新しい398号線となって、通行可能となり
内陸部と町の中心部が身近になり、繋がってきてる感じがし、新たなことが多い町並みの?南三陸へ
暖かくなってきた季節です、多くの皆さんに足を運んでいただける準備でお待ちしたいですね。
ダラーとー、長くなってしまいましてスミマセン。
、、