被災から早いか遅いかは?
人それぞれに感覚の違いはあるかも?
私自身も、
夢中で日々の生活と自身の精神的な落ち着きを取り戻すのに精一杯で、
震災当初の半年や1年近くは短いも長かったのか?さえも感じる余裕なくて・・・・・。
身の回りの物さえも無く、「まあ、今日暮らすのには、こんなもんでもいいか?」とか、
自宅内外での、スタイルはいつも同じ格好で済ませても誰も何も言わないし・・
等々、半ば諦め的な自分たちが、今や、僅かしかない物から選んだり考えたりするまでになってきている。
それも、人欲か?それとも日々の自然の人の営みか? (少しカッコよく言えば、、かな?)
心の復興の表れか?・・・・・・ ( か?な? )
なんて人並みに年齢を重ねて感じる、初老の一人です。
復興、 復興、人々の言いぐさも、 文字も、よく聞くし・・目にも写るが?
どれだけ変わっているんだろう????。
心の足を止め、少し、捉えてみようか?
自分が住んでいた、住み慣れていた地域は?町は?・・
沿岸部から2キロほど離れた、高台の北側より撮ってみた景色。
町の玄関口で賑わっていた1番の場所の筈。
なのに、現在となっては復興の車が多くて、生活は感じられない位で、昼と夜が異様な位の景色で・・・
その場所辺りは、夜遅い時間で車を走らせることさえ、神経が昂るし、ハンドル握る手に力が入るほど、、
そのまま震災前の街並みが、今や、反対側の位置に沿岸部より2キロ500位の場所で賑わっている。
町で、、生まれ育ち、嫁ぎ、この現象は想像だにしなかった。
これらを映した場所も、自分たち兄弟も学んだ、元中学校の場所、桜の季節には町の人々の目も心も、
麗し楽しませてくれていた場所。
私の大好きな場所でした。
今や出来立て、ほやほやの、真新しい農協本所?(志津川支所?)なる場所にある一角になりつつ、
夜にその場所に行ってみたら、、、
なーんとその場所だけが都会の建物を、思わしてくれそうな、錯覚さえ感じて、
思わず、パチリ、パチリ、指を動かした。(黙って写してごめんなさい。)
どんなに町が変わろうと、元住んでいた元の家の辺りが嵩上げになっても、自分の心は元の場所に戻りたい。
でも戻れない現状を受け入れつつも、自身の心の住処は元の家の場所に今でも、そこに居たいし、
暮らすんだと、自身を、励ましていないと切なくて、この町に残れない自分がいます。