つぶやく、、私、、。
南三陸町、、、碧い海,透き通る青い空、手つかずの里山。自然が多くて静かな佇まいの街並み、この町から誇れる各産物、それらが美味しく当たり前に食していた。私たちであった。
この町で生まれ、育ち、就職、結婚、子育て、義父母、実父母看取り、、子供たちの巣立ち、結婚、。自宅新築10年。孫が一人、二人と生れ家族が増え喜びに満悦。、、、が、、その間、大切な一人息子を二十代前半志半ばで失い、失望のどん底へ、
が、、人生の奈落の崖ぷっちへ、、それでも家族で、、夫婦で乗り越え傷を癒しあってプラス思考で歩もうと心に刻んだ筈だったのに、、、
この町初め、あの大震災に、、兄姉、親戚、幼友達、知人、友人、多くを失い、更なる上、自宅もろともすべて失い、スプーン一つさえ見つからず、、言葉にも言い尽くせない跡形もない豹変した我が家、、、。心身ともに正常ではいられずの日々。
生家より長い嫁ぎ先の自分の半生で、、一生成し遂げる人生の筈、、の自宅の土地も物も地の底か?海の底か?
生を受け、半径2キロメートル円での日々の生活が当たり前と、、予想だにしない出来事に毎日が翻弄される日々、に、、。
現在は、山間部に移り住み、、あの震災が現実だったのかとも、わが目を疑いたくなるような、そんな思いをめぐらされる錯覚さえ感じさせられる、、、本当に穏やかな静かな、周辺は緑豊かな一面田園と緑濃い山々、田植えを終えた風景、野菜の育つ畑、傍は川が流れて、、夜にもなれば、周囲の田んぼからカエルの合唱が切れることなくメロデーイが奏でる。
この頃の気温が高くなり、多くの虫たちの群れにも、悩まされる日々でもあり、まごと「うわー嫌だー、気持ち悪い―。潰す?」とかなんとかと大騒ぎの日々の、、、、家族も少しずつ慣れてきて。
今の私たちの生活も少し落ち着いてきて笑いも増えてきて、の、、この頃を感じてきてます。
そんな最中さんさん商店街の北側周辺の様は変わりつつ、、工事の産業者や人々が忙しく動いている光景が目に入ります。
山は被害木を伐採してたり土砂の搬入をしたりと動きが著しく変化しています。、、何やら北側庭大きなホームセンターが近くオープンするらしく急ぎ工事が繰り広げられているらしく、、日々周辺は工事の音やら商店街訪れるお客様方の賑わいで新風が入り込んできて居る気配さえ感じます。、、、と、、感じるのは私だけでしょうか??過去のものは取り返せませんが少しずつですが個体でも形態は変化しつつの事は今住んでいる町民には復興の兆しが進みつつを感じてもらえるのではと独りよがりかもしれませんが思っている私です。
不便な2年数か月、、が、、今、、これから大型店オープンすることはこの町に残った私たちには利便性がよくなることは事実ですよね。
と言う訳でして、、変化する街を見ながらこの町に残る意思を固めたわが家族今後も改めて、よろしく、、、お願いします。