地震 津波 土砂災害 集中豪雨。
災害はいつどこで起きるか分からない。
もしかしたら、明日自分や家族、大切な人のもとに起こるかもしれない。
予測が全くつかない明日への備えはできているのだろうか。
災害が起きた後、今やるべき行動を考えられるか、優先事項は何か。
物資の備えだけでなく、心の備え。
震災を経験した地域、実際の避難所になった場所をフィールドに
震避難所運営を行った方々、避難所生活を経験した方々、
震災の経験者から教わる実践型プログラム 防災キャンプそなえ
―――企業研修として
―――地域の防災訓練として
あなたの生活に、心の備えを準備しませんか?
6月3~4日、実際に実施されたプログラムを紹介します。
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晴れ間が広がり初夏のような陽気になった2日間。
東京から企業様が本プログラムに参加いただきました。
プログラムの構成上、一部だけの紹介です。
まずはイントロダクションワーク
震災当時の町の様子、そして避難所の様子を紹介、
トイレを済ませて、いよいよスタートです!
このプログラムは南三陸を旅行中、地震に見舞われ、発災。
一次避難~二次避難を余儀なくされるという設定でスタートします。
どこで発災して、どこに避難するか多くを語りたいのですが
ここがプログラムのポイント!
実際の参加者にも事前に伝えている情報はこの程度です。
次に何が起きるかわからないなかで
参加者は次々にミッションをクリアしていきます。
避難所に入ってからも同様、次々に迫りくるミッションに挑戦。
突然訪れる過酷な状況、
とっさのコミュニケーションが非常に大切ですね。
辺りは刻一刻と闇が迫り
震災当時もまさにこのような状況だったのが思い出されます。
時間が経過して翌日、ただ体験するのではありません。
「備え」を実際に会社や学校で使用するためのシュミレーション演習。
2日間の経験を活かして、これからすべき事を真剣に話し合いました。
参加者からは
「リーダーの重要性を思い知った」
「翌日には終わるプログラムだったのに、絶望感を味わった」
「会社に戻ってマニュアルを全社員が共有する場を設ける」
「お風呂の水を常に浴槽に貯めておく」
「日頃の健康管理に気をつけ、いざという時に備える」
いっしょに参加した事務局やガイドさん 避難所運営者からは
「当時を思い出した、震災を忘れず、変わらず災害に備えていきたい」
「自分たちの経験を活かせてもらえれば嬉しい」
そんな声が聞かれました。
地域にとっては震災の風化防止、
そして防災を伝えていく事に繋がっていきそうです。
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防災キャンプそなえ
6月3日(金)13:00〜6月4日(土)9:00
レンドリース・ジャパン株式会社様からの参加者 22名
オーストラリア大使館様からの有志 3名
実施主体:南三陸町観光協会・平成の森
協力者:伊里前福幸商店街 みなさん館 歌津地区の方々
----募集ページはコチラ
こんにちは
かとぱんです。
先日3月11日TBSの金スマにて日本と台湾の繋がりが放送され、
当町も紹介された場面をご覧いただいた方も多いと思いますが、
この訪問までのストーリーは一切放送されなかったので
今回はその部分を紹介します。
南三陸町は東日本大震災により町内の公立病院を失いました。
仮設診療所のスタート後、入院診療は35㌔離れた
隣町の施設を借りて行うなど、町民や医療スタッフにとって、
大きな負担になっていました。
被災した町の一日も早い復興のためには
町民の安心・安全の拠点となる病院や福祉施設の
早急な整備が必要になっていました。
この病院再建には全国・全世界のご支援をいただいていますが、
中でも台湾からは22億円の支援金をいただき、
病院再建の大きな力となりました。
昨年11月に完成した病院は入院機能の他、
保健センターや子育て支援センターなど住民が安心して
福祉サービスを受けられる総合施設です。
このような希望と安心を与えてくださった
台湾の皆様に心から感謝すると共に、
この素晴らしい施設を架け橋にして、
将来に渡る相互交流の継続を目指した活動をスタートさせてきました。
一昨年には町長はじめ、病院や産業団体関係者が訪台して感謝を伝え、
その後は実際に南三陸への招聘事業を展開してきました。
昨年にはテレビにも映っていたホームステイ先の山内さん方も台湾を訪れ、先生方や来町したことのある学生と再開しています。
このような取り組みを経てようやく今回の修学旅行が実現しました。
いわゆる観光地ではないこの地域で提供するのは
震災からの「学び」と地方ならではの生業を営む方々との「交流」。
今回受け入れをした学校はこうした震災からの縁を繋いできた第一歩、
協会としても宿泊を伴う台湾からの高校団体の受け入れは初めてです。
この高校生が帰国した1週間後、台南で大地震が発生しました。
早朝の地震でしたが、民泊家庭のお母さんや
地域の皆さんが電話をくれて
「この前来た子どもたちは大丈夫か」
「募金活動を開始したいのだけど」
「次に来る子どもたちに被害はなかったか」
そんな声が町の中から上がってきました。
受け入れに関しては言葉の問題もあり、負担になるのではとの若干の不安もありましたが震災の支援が、交流に繋がり、そしてさらなる相互交流に確実に繋がっていることを身をもって知る機会でもありました。
2月にも震源地に近い、台南から高校生が来町。
私たちの震災の教訓を地震の多い台湾に伝えていくことも恩返しになるのだと、その使命を改めて持つことになった出来事です。
震災後に生まれた素晴らしい国の方々との繋がり
ぜひ継続していきたいものです。
台湾の方向けページはコチラ
英語版サイトはコチラ
以上かとぱんでした。
南三陸町因受到東日本大震災的影響,失去了町內的公立醫院。
雖開辦了臨時診療所,但對需住院患者的醫療則需借用距離35公里外
鄰近城鎮的設施,對於町民以及醫院的工作人員來說,
都是一大負擔。
受災的公立志津川醫院
為了讓受災的城鎮早日完成復興
也為了讓居民能夠生活的安心・有個安全的據點醫院以及福祉設施
便成了刻不容緩的當務之急。
醫院的重建工程得到了來自全國・全世界的支援,
其中尤以來自的台灣22億日元的支援,
成了重建醫院的最大力量。
終於在去年的11月,完成了的醫院的建設。它除了具備住院設備外,
還兼備了保健中心以及育兒支援等機能,是個能讓居民安心地
接受福祉服務的綜合設施。
新建設完成的南三陸醫院
就這樣提供了給予民眾希望與安心
在衷心感謝台灣民眾的同時,
也願將這優秀的設施作為橋樑,
並積極進行各種持續雙方間之交流為指標的活動。
參加在台灣舉辦的感謝活動
前年,由町長所帶領的醫院以及產業團體一行人,訪問台灣傳達感謝之意,
之後即開始實行來到南三陸的招聘實習活動。
去年,曾出現在電視節目上的民宿家庭業者山內女士也親自訪問了台灣,並與老師以及來到町上的學生們重逢。
視察正在建設中的醫院的校長們
盡情享受應時的三陸裙帶菜
經過了一連串的各種活動措施,終於實現了這次的畢業旅行。
非所謂的觀光地,這個地區所提供的
就是經歷過震災的「學習」以及與仰賴地方特色生計營生的人們的「交流」。
這次來訪此地的學校正是連繫這樣的緣份的第一步,
這也是本協會首次接受來自台灣高中團體伴隨住宿的事業。
就在高中生們回國1週後,台南發生了大地震。
因為地震發生時間是在清晨,來自民泊家庭的Home爸、Home媽們
以及地方上的民眾詢問的電話不停
「之前來到町上的孩子們還好嗎」
「想開始募款活動・・・」
「下一團要來的孩子們有沒有受災」
等的聲音在町上揚起。
地方的民眾開始了募款活動
雖然在接受來訪團體時,因有語言上的問題,怕成為負擔而有若干的不安,但因得到震災的支援因而接觸有所交流,更是親身體會確立連繫彼此間相互交流的最佳機會。
2月時,靠近震源地、台南的高中生來訪。
若能將我們的震災教訓傳達予同是地震發生頻繁的台灣作為回報,再次深切地感受到身負重大的使命。
離別時「下次再見」
不光是台灣的孩子們來訪,當地的孩子們也會訪問台灣,親自感受台灣的魅力。
在發生震災後,與各個國家的人們所產生的連繫與交流
願能夠永遠地持續下去。